バニラ(家族のあゆみ)

猫がいる生活

震災の日(3月11日)

2011年3月11日午後2時46分18秒
10年前の今日東北沖に地震が起きました❗️
過去最大に地震であり、被害も桁違いです。

その後の名称は、東日本大震災となりました。

地震によりつなみ🌊が発生して、東北沿岸に海水が流れ込み
過大な被害を与えました。
それに伴い、福島原発もつなみに影響を受け、メルトダウンが発生しました。

炉心溶融(メルトダウン)とは、原子炉中の燃料集合体が、核燃料の過熱により融解すること。
簡単に要約しますと、核燃料の外壁が、過熱により、溶けて最悪の場合施設の外に出てきてしまうことです。

つなみは、東北の町中に襲いかかり建物、船、車、人に至るまで、陸に打ち上げられたり、海にさらっていきました。
現在でも、死者、行方不明者をあわせて、2万2千人に及んでおります。

被災された方々に心よりお悔やみを申し上げます。

当時、陸中海岸国立公園に約7万本の松の木が、茂りほとんどの松の木が、津波により
ながされ壊滅しましたが、しかし、松原の西端近くの1本の松が津波に耐えた事により、
奇跡の1本松と呼ばれ、復興への希望を象徴するものとして、捉えられています。

当時の記憶として、この松のお陰で、東北に希望を導き、
新たに、前に進む力を与えてくれたと思います。

福島原発により、放射能漏れの危険性がある地域は、立ち入り禁止となり現在も
続いています。
立入禁止区域に、TOKIOの番組企画によるダッシュ村も入っておりました。

地震当時、会社で仕事をしておりましたが、突然の揺れにより建物の外に出た時、
コンクリートの電柱が揺れている光景や、地震発生後の震度を確認する為テレビをつけた時の
津波の発生する瞬間。
最初は、波から始まり、かえしの波の上にまた波が覆い被さり波が増幅していき、かなりのスピードで、
進んでいく瞬間を、リアルタイムで見ていたことを鮮明に覚えております。
特に、原子力発電は、現在でも復旧、改革が、進めていない状況です。
世界から見てもかなり関心があり改善には、難しい問題だと思います。

製造側からの地震後の変化
地震発生から、2年位は、特に、東北で材料の製作をしていましたので、物よりも人材が優先していた為、
輸送の関係で通常2日だったのが、最悪の場合は1週間掛けて届いた事例もありました。
3年後には、ほぼ、通常通りに製造から運送まで出来る様になったことは凄いことです。


地震から、10年の間に、東北に限らず日本中の人々の意識が、変わったと思います。

これからの10年で、如何に私たちがまた1歩進めるかが、課題となっていると思います。


この手記は、何年経っても忘れないために書きしめしました。
復興により何を得て何を犠牲しないといけないのか?
これからを見つめていかないといけません。
現在でも、東北の方々は、地震と戦っていることを知りました。
わたしも、今日から、再度自分に出来ることを考えていく事となるでしょう。
逆に、考えるだけでなく、行動も伴って行きたいです。

追記:
当時の津波の写真、東北の状態は、どんな方法でも調べることはできますが、自分に起きた
状況は、誰にも知ることができないので、自分のメモとして書きました。